未経験、無知、という価値について

素材は未経験

何かブログを書こうとしてみるけど、書くことなんて全然思いつかない。そう思ってネットで適当に検索して、しっかりと仕上がっているブログを読んでみた。みんなそれぞれの得意分野があったり、ある事柄について自分なりの考えがあったりして、読みながらなるほどな、とは思いつつも自分であればどういうことが書けるか、まではなかなか想像が追いつかなかった。自分にはそんな大した経験なんてないしな、とは思ってしまった。逆に捉えれば何も経験していないこと、そのこと自体にある種の希少性、商品性があるのかな、と思ったりもした。未経験は素材になるかもしれない。経験者は2度と未経験者には戻れないではない。ヤリチンは2度と童貞には戻れないのだ。経験者は未経験だった時のことを何とか思い出して記録することはできるかもしれないけど、その情報は決して確かではない。視点はあくまで「今」にあるから。何も経験していない状態というのは貴重であって、それをテーマは何であれ少しずつ経験していき、その過程をリアルタイムで記録していくことには、ある程度の需要は発生するのではないか。ブログというもの自体も、私は全くの未経験者だ。筋トレ、キャンプ、釣り、臨床医学、プログラミング、DIY、ゴルフ…。好奇心は旺盛だけど行動力皆無の自分には興味あるけど手をつけていないこと、は山ほどある。

リアルな感覚を大事に

これらをテーマに未経験者からいかに経験して大きくなっていくかを記録していきたい。記録する時に気をつけなきゃいけないのは、カッコつけないこと、正直でいること。これまで自分は、悪い癖としてセンスある人間を装ってしまうことが往々にしてある。飲み込みが早い人の振りをしてしまうのだ。結局本質を全然理解してないから、あとで詰まってその時には聞くタイミングを逃している。(このタイミングを逃したというのも自意識によるもので、実際は聴ける状況だったりするんだけど) 初心者として不安であることやつまづくと、できないことを正直に記録していく。ブログを書くにあたって文章を推敲していくことはもちろん大事だけど、気持ち自体を推敲してしまっては、文章の趣旨はなくなってしまう。未経験者が提供できる商品はあくまで、未知のものに対する己のリアルな感覚なのだから。